医院を譲り受けたい継承開業
医院を譲りたい医院譲渡・売却
第4章
お客さまに喜んでいただけたか
吉井町での第三者医業継承が動きだした際、社長である小山田浩定(おやまだひろさだ)は、「『医療機関は地域の財産だ』ということを忘れずに取り組みなさい」と、担当の原口にアドバイスした。
「地域医療への貢献」
その思いは、仕事をするうえで、つねに根底にあった。
原口がまだかけ出しの営業マンだった頃に、初めて手がけた開業支援で感じたのもそれだった。畑だった場所に診療所ができ、 その待合室に診療を待つ患者さんの姿を見たとき、自分は医師ではないが、地域医療の役に立つことができたと実感でき、胸に込みあげるものがあった。
何もなさなければ、地域医療に穴があきかねない。それを回避させ、地域医療の継続を支援することが第三者医業継承だ。
初めてそれをやり遂げた原口は、喜びもひとしおだった。
達成感を胸に、社長室の扉をたたき、第三者医業継承の結果を報告した。
小山田は言った。
「お客さまに喜んでいただけたか」
返ってきたのは、わずかにその一言だけだった。
原口は不意を突かれた。しかし、すぐに思い浮かんだのは継承を終えた際の篠﨑順子の感謝の言葉や、澁江義朗やめぐみの満面の笑みだった。
診療所を譲るご家族にも、引き継ぐご家族にも心から満足してもらえた。
「はい、喜んでいただけました」
その一言が、原口の口をついて出た。
創業以来つねに先頭に立ち、企業の中核にあった小山田の言葉は、格別の重みがあった。そう、大切なのは「お客さまに喜んでいただくこと」なのだ。一貫して、いささかも揺らぐことのないリーダーのこの思いこそ、全社員を牽引するエンジンなのだと、原口は思った。
継承開業して1カ月が過ぎた頃。「澁江整形外科」の患者数は一日あたり100名を超えるまでになっていた。船出は順風満帆だった。たくさんの患者さんが行き交う待合室、スタッフが忙しく働くワンシーン、ワンシーンが、原口にとって地域医療に貢献できたことの証しに思え、明日への活力を感じとることができた。
原口が顔を見せると、澁江義朗は喜び、忙しい診療の合間を縫うように、いつも歓談の時間をもってくれた。
翌1994(平成6)年のこと。総合メディカルは、宮崎に拠点開設を急いでいた。その立ち上げに急遽、原口は関わることになった。
「できれば澁江先生をはじめ、支援をした先生方と、もう少しお付き合いしたかった」
その気持ちを胸に秘め、原口は新天地での新たな出会いに思いをはせた。
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