医院を譲り受けたい継承開業
医院を譲りたい医院譲渡・売却
第5章
医療をつなぐDtoD の誕生
「おぅ、小山田、忙しいのにありがとう」
1995(平成7)年のこと、小山田は中学校までをともにした幼なじみを病院に見舞っていた。病床にある友人の声は、力強くはなかったが、張りはまだ残っていた。
「すごい会社にしたね」
お互いを「ちゃん」付けで呼びあっていた少年時代に戻ったような口調で、彼は小山田にほほ笑んだ。
当時、総合メディカルは、医業経営コンサルティング会社として成長をとげ、医療関係者より評価を受けていた。眼科医である彼の耳にも、それは届いていた。
彼の病気は「がん」で、病状は深刻な状態にあった。彼自身そのことを承知していた。経営している診療所と家族の行く末を、さぞ心配していることだろう。
小山田は、直接依頼されたわけではないが、医業継承してくれる眼科医を探した。しかし、眼科医の数自体が少ないこともあって、彼の思いを引き継ぐ医師を一人も紹介することができなかった。
それまでも、多くの開業支援を手がけ、2年前には、初の第三者医業継承を実現していた。にも関わらず、幼なじみの医業継承の支援ができなかったという事実は、小山田の心を苦しめた。
この苦い経験から「医業継承の必要性」と「社会的な意義」、とりわけ地域医療にとっての重要性を痛感した小山田は、このような悔しい思いを二度と繰り返さないと、強く心に誓った。
「よい医療を支え、よりよい社会づくりに貢献すること」
それが自らの使命だと小山田は、つねに考えていた。
事業の多角化にともない、小山田は改めて「会社は何のために存在するのか」を問い直した。すでに社員数も増え、「企業理念」の明文化が求められていた。
そこでまとめられたのが、総合メディカルの「社是・社訓」「わたしたちの誓い」そして、社員一人ひとりが実践すべき判断基準を示した「行動規準」だった。
そうした地域医療貢献への思いから、ある構想が生まれる。それは、これまで取り組んできた開業・医業継承・医療連携の支援、医療機関への医師の紹介、これらすべてを結びつけるコーディネート力を事業化するというものだ。
この画期的な構想は、全社員の経験や知恵を結集させることで、新しいビジネスモデルとして次第に確立されていく。それは株式上場への歩みと重なりあって進んでいった。
2001(平成13)年10月、医師と医師、医師と医療機関のかけ橋となる「DtoD(Doctor to Doctor)」が誕生する。
それは、まさに総合メディカルの「地域医療への貢献」という企業の根幹をなす思いの結晶だった。
やがてDtoDは、全国に広がっていく。
転職を希望する医師の登録数が増えると、医師不足に悩む地域の医療機関からは大きな期待が寄せられるようになった。
また、登録医のうち開業希望者が一定数確保されていくことで、後継者のいない医療機関の医業継承にも活路が開けていった。
そして、このDtoDが担うべき 「地域医療への貢献」を象徴する第三者医業継承が、あの吉井町で再びおこなわれることになる。
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